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ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20200731 ケーキの切れない非行少年たち

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読んだ。

凄く面白かった、けど、読んだ人間の9割……、いや、99%は内容を誤解すると思うので、誤解しないでこの本を読むための知識を私の実体験を交えて書いておく。

本の内容は一貫しており、「境界知能/発達障害/知的障害が教育の中で見過ごされ、適切なケアが受けられなかった末に非行に至ったケースが極めて多く、教育が適切に機能していれば未然に防げたはずの加害者と被害者が量産されている」というのが大体の趣旨にあたる。

 

ただしこれは、決して「障害持ちの犯罪者に寛容であれ」という意味ではない。また、99%の人間は「境界知能」とか「発達障害」とか本書内で形容されている人間の像を正しくイメージ出来ない。絶対にできない。なので私はそれだけをこの日記に書きたい。

 

ただしそれは長くなるので少し後に回すとして、先に「見過ごされた発達障害者による非行(犯罪)がいかに悲劇的で恐ろしいか」を、「実行機能」が弱い例を用いて本書から一例挙げる。

「実行機能」というのは名前が紛らわしいが、『後先のことを考える』能力の事を指す*1知的障害者は後先を考える能力が弱いということだが、その実態は常人の想像を絶する。

例えばあなたが青少年で何かの都合でどうしても3000円欲しいが今月はもうお金がない、となったとしよう。あなたは何を考えるだろうか?普通、親に頼んでみるとか、小遣いの前借りを要求するとか、最悪知り合いを頼ってみるとか、そういう選択肢が浮かぶだろう。ところが実行機能が弱いとそうはいかないのである。路上で人を襲えば3000円手に入るから襲えばいい。そんな事したら人生終わってしまうが、「実行機能が弱い」というのは「路上強盗なんてやったら人生終わる」なんて少し先の未来も見えないレベルの事を指すのだ。そうやって小金を手に入れて少年院行きになるケースは少なくないという。しかも折として殺人に発展するし、そうなれば意味もなく人が死ぬ。加害者が教育の中で知的障害を発見されていれば死ななかったはずの人間が死ぬのだ。こんなバカバカしい話が信じられるだろうか?しかしこれは慄然たる現実である。

他にも恐るべき数々のケースが典型例として紹介されているが(「典型例」が作れるくらいパターン化されているというのが恐ろしいところである)、それは今私が書くべきことではないので、書かない。

 

それよりもこの本の想定している「非行少年」の像を正確にイメージ出来る手助けをすることが、発達障害関連に少しでも知識のある一読者としての務めではないかと思う。以下は全部それに回す。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B07V2397JY/

 

 

発達障害」「知的障害」の定義について

事後

(※この記事がある界隈に晒された後、莫大な数の誹謗中傷を受けました。どこが間違ってるのかも指摘できず私が具体的にどこがおかしいんですかと聞いたら話を逸らされ嗤われブロックされ私よりも何百倍もいい加減な知識を披露されおかしい点を指摘したらやっぱり話を逸らされてもう何もかもが私を憔悴させるだけの悪意ある罵倒の山でした。

しかしながら幸いにも、理性的で紳士的なご指摘・解説を2名の方から頂けました。

下の節の定義には確かに間違いが含まれています。正確に言えば、古い定義で、現在使われていないものになります。また、かなり後の節の広汎性発達障害についてはほぼ全て間違いです。ただし、あまりにも疲れているので今は修正できません。この後修正できるかも分かりません。それでもこの本を読むためのより近いイメージを提供する、という目的に対しては適うものだと思います。このレベルの話なんだ、という点だけを認識してください。

また、間違っても発達障害やその他の定義について調べようとしないでください。これについてインターネットにはまともな情報はありません。私の間違いを含んだ定義の方がまだマシなレベルです。)

 

本題(未修正)

まず最初に絶対に書くべきことだと思うが、発達障害」「知的障害」を決める基準はIQである。IQ85~70を発達障害、IQ70未満を知的障害と呼ぶ。思っていたより遥かに低くて驚くのではないだろうか。そりゃそうだ。twitterで「発達障害」とか「発達」とか名乗っている人間がたくさんいるからだ。だが実のところそのほとんどは発達障害ではない。何故「発達」を名乗る非発達障害者が私を含め大量にいるのかは最後の余談に回すが、簡単に言うと我々は広汎性発達障害であり発達障害ではない。でも略すと両方「発達」である。

 

最近では呼び名が変わり、IQ85~70の「発達障害」は「境界知能」になったらしく、本書内では「発達障害」「境界知能」の両方の術語が使用されている。その割には定義上の違いや用法の違いが見られないため、本書内においては両者は同じものと思ってよい。

 

ただ必要と思われる補足として、ポリコレ棒発達障害verの影響か、発達障害関連の呼称は数年おきに変わる。しかしながら、IQ85~70とIQ70未満という点は絶対に揺らぐことがないのでこの2個だけ覚えておけば十分である。どうしてこの数字になるのかは2個後の節に回す。

 

私の書くこの文章内では「発達障害」「知的障害」について最初の定義で統一する。

 

IQ85~70がどれくらいの能力なのかについて

私は教職課程を取っていたのだが(途中で辞めた)、教職課程を取った者はこの領域に生で触れることになるので、リアルの体験をささやかながら書こうと思う。

教職課程では「特別支援学校(発達障害者等の行く学校)」「社会福祉施設」にそれぞれ2日間と5日間通うことが義務付けられている。また社会福祉施設には大雑把に言って「身体」と「精神」という俗語があり、「精神」と言ったら発達障害者・知的障害者が通うないし入居している施設を指す。通所者の年齢は多様である。そして私は「精神」を引いた。地獄である。

 

時間の関係と年齢層の問題から特別支援学校の体験だけを書くことにするが、そこにいたほとんどの生徒はもはや人間ではなかった。発達障害と知的障害の人間が混ざっているとはいえ、半分以上の生徒は言葉が話せない。だがそれだけならまだマシだった。生で間近で見る障害の影響は想像を絶した。

彼らが就労するにあたって必要な訓練として図画工作のような時間があったのだが、そこで見た衝撃的な光景が忘れられない。

生徒の年齢は小学生から中学生である。その年齢の子供たちにミキサーの使い方を教える授業だったのだが、これが絶望的に出来ない。たった2つの材料を模した紙切れと水を混ぜるだけなのだが、それが出来ない。

「ミキサーで2つの材料と水を混ぜる」という動作が何であるかを馬鹿馬鹿しいくらい分割して書くが、「ミキサーの電源を繋いで」、「ミキサーの蓋を開けて」、「蓋を置いて」、「材料Aの蓋を開けて」、「スプーンを取って」、「材料Aをスプーンですくって」、「スプーンの中身をミキサーに入れて」、「スプーンを(できれば清潔な場所に)置いて」、「材料Bの蓋を開けて」、(Aと同じなので中略)、「コップを取って」、「水道でコップに水を入れて」、「ミキサーに水を入れて」、「コップを置いて」、「ミキサーの蓋を締めて」、「タイマーをセットして」、「片手でミキサーを軽く抑え」、「ミキサーのスイッチを入れて」、「両手でミキサーを抑えて」、「タイマーが鳴ったらミキサーのスイッチを落として」、「ミキサーの電源を外して」、「ミキサーを台所に持っていって」、「ミキサーの中の完成品を指定された容器の中に出す」という一連の日常的な動作が「理解」出来ないのである。(しかも片付けの段はここに書いてない。)この授業には生徒は20人くらいいて在校教員が5人ほど、教員の指導は熱心だったが私の班で3時間以内に自力で出来た人間はゼロ。マジの発達障害ってそういうレベルである。この手の専門家が書いた本の中では、「発達障害」とあったら世間一般の言葉で知的障害と呼ばれるものを想像したほうが良い。

ちなみに我々教職課程の人間は基本的に呆然と眺めているだけである。下手に手を出しても邪魔なだけなので。

 

そして驚くのはこの先だ。この作業の最中、この部屋は図画工作に使うのであるから非常に広く、床が10m*10mくらいで天井も3mはあるはずなのに、突如として轟音が鳴り響いた。床も揺れたし、私はマジで地震かと思った。だが轟音は断続的に鳴り響き、一体なんだこれはと身震いし、ようやくその音の発信源が部屋の中にあると気付いてそちらに目をやると、音の正体は小学生高学年~中学生と思われる男児壁に頭を打ち付けていた音だった。自殺企図である。自己肯定感が我々の想像のつかないレベルで底抜けているので突然自殺企図を始めるのだ。その力は凄まじく(何しろあんなサイズの部屋が揺れるのだから……)、大人の教員が3人がかりになってようやく壁から引き離すのに成功し床に組み伏せていた。日常とは縁遠い世界である。

 

本書にはそういう人達が登場しているのであって、これを知らないと受けるイメージを大きく間違う。

 

ところで私がその学校にいた2日間の中で1人だけ、どうも見た目からして普通そうで(知的障害者に特有のあの顔の崩れ方が見られない)、話してみても実際に普通な感じの男の子がいた。小学5年生で、体型は少し丸い感じだが、「太っている」という印象を受けない。短髪で清潔感があってのことだろうか。むしろ爽やか目という感じだ。あの空間では、清潔感を持っているだけで日常的な動作をだいぶ行えるという証だった。

彼は明らかに学校の中で浮いていた。周りに人間がいない中で一人だけ人間だなという感じがした。IQ85のギリギリくらいで不運にもここに入れられたのだろうか、と一時は思った。しかし彼がそこにいた理由はすぐに分かったのである。

授業時間は理科だった。生徒6人に教員1人がつき、私はそれを見ていた。教員が植物の葉っぱの種類について話した後、実物の葉っぱを人数分持ってきて渡すと、上から紙に圧して輪郭を鉛筆でなぞるよう指示した。この時点で彼を含め全員が苦労し、出来ない生徒もいた。壊滅的だったのはその後で、葉っぱの方を下にして紙を上に敷き、上から輪郭をなぞらせる段に入った。これは彼を含め出来た人間が誰もいなかった。

その男の子は普通に健常者のように世間話が出来るし、話していて特に変なところもないし、日常的な動作も普通に出来る(ようにその日の限りでは)見えたし、これは普通の人間と見分けがつかないと思った。それでも小学5年生で上のような簡単なことが出来ない。発達障害の限りなく上の方で、しかし決して健常者ではない人間。それを目の当たりにした私はあまりにもショックだった。彼の人生がいかに悲惨なものか想像しただけで目を覆う。

 

この本で想定されている「ケーキの切れない非行少年」というのはこのレベルの人々の話である。

ここを過つと印象を実際から大きく違えることになる。

 

 

補足:IQとかの定義について

ぶっちゃけIQの歴史について語ると凄く長くなるので割愛するが、とりあえずIQにはどの試験で測ったかによって物凄くたくさん種類がある。簡単にIQ180とか出るテストもある。

しかしながら現在専ら使われているのはウェクスラー式知能検査で、IQと言ったらこれの事だと思っていい。実はこれ、元からし発達障害を炙り出すために作られたテストだったりする。天才を見つけるためのテストではないのである。

ウェクスラー式知能検査は年齢によって受ける問題が違い、16歳以上であればWAIS (Wechsler Adult Intelligence Scale)、それ未満であればWISC (Wechsler Intelligence Scale for Children)を使う。

以下統計の話になるが、この結果は正規分布すると仮定されており、平均値100、標準偏差15に設定されている。従ってIQ85~70というのは-1σ~-2σ、IQ70というのは-2σより下の領域になる。「発達障害」「知的障害」の名前が何回コロコロ変わろうと、それを定義するのがウェクスラー式知能検査のIQである限り、この値が変わることはないのだ。だからこれだけ覚えておけば良い。

 

余談:twitterにおける「発達」という単語の使われ方や、広汎性発達障害とか呼ばれていたものについて

ウェクスラー式知能検査では、テスト項目毎に結果をまとめ、大雑把に「言語性IQ」と「動作性IQ(非言語性IQ)」の2種類がまず出る。

「言語性IQ」というのは凄く誤解を招きやすい言葉で、「思考力IQ」とか言った方がまだ良いのではないかと思う。法則性の発見とかワーキングメモリの容量とかのスコアがここにぶっこまれる。一方で処理速度等のスコアは「動作性IQ」の管轄になる。

試験項目は無茶苦茶多くて、そのたくさんのスコアをこうゴチャっと処理しちゃって(この辺りの計算は詳しくは知らない)、最終的に「全検査IQ」というものが算出される。これが一般にいう「IQ」である。

ここで、全検査IQが100以上で(つまり健常者と同じレベルの知的能力を持っていて)しかし言語性IQと動作性IQの間に15以上の差がある場合、それを広汎性発達障害と呼ぶ。これもこれで辛い。なーにが健常者と同じ知的能力だバーカただの社会不適合じゃクソがという感じだがそういうものなので仕方ない。

(定義に使われる差が15なのは標準偏差が15なのが由来だ。)

(でも、差が15じゃなくて14だからって、広汎性発達障害を名乗ってはいけませんかと言うと、そんなことないんじゃないかなあと思うし、差が10あったら十分キッツいと思う。そしてなにより、全ての精神障害に共通する要件は「(自覚していようといまいと)本人が困っていること」である。)

 

ただこの辺りの定義もやっぱりころころ変わる。名前も変わる(やめてほしい)。現在では「広汎性発達障害」という単語は使われていない。自閉症スペクトラム障害という名称に他のいろいろなものと一緒に統合されている。でも多分5年以内にまた変わると思う。

今でもtwitterでIQに偏りがある人達が自分達を「発達」と呼称するのはこの辺に原因が有る。ひょっとすると次の名称の変更ではまた「発達」ってつくかもしれないね。いやマジでね。

 

最後に本自体の小学生並みの感想

色々な恐るべきケースを見れるのが読み物として純粋に面白いし、こういうリサーチはもっと増えて欲しいと思う。あと、発達障害者の引き起こす問題は広汎性発達障害者の問題にも通じる所があるので読んでいて相当に刺さる。発達の自覚があるならそれだけでも読むべきかもしれない。

最後の章だけは明らかに教育関係に媚び売ってて(教育関係の人間はマジでヤバいので仕方がない)、それまで長く滔々と語ってきた内容と矛盾する箇所すら散見されるので読まなくて良いかもしれない。ただそれまでは本当に面白い。

 

久々に本を読みました。kindleうつ病患者の神。以上ッ!

 

 

*1:「そもそも反省ができず、葛藤すらもてない」の節より