ブログを作っては消すのやめろ

ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20230704 読書記録

普通の読書記録。

社会問題系の本で記録つけるのは嫌なんだけど、これは面白いなあと思ったのでメモ。『言論抑圧: 矢内原事件の構図』より。

日本史の話です。ある程度知らないと分からない。

 

先に言っておくが、私は社会問題の話が大嫌いだ。それはここがインターネットだからだ。つまらない話をする場所じゃないからだ。現実なんてくだらない世界の話は新聞か雑誌で勝手にやっててくれ。今日こんな読書メモをつけたのだって、純粋に「日本史的に面白い皮肉な話だから」であって別に問題提起だとかくっだらないことがしたいわけじゃない。

今からメモにつけるくだりが「面白い」というのは、歴史好きにしか伝わらない感覚だとは承知しているが。

ただとにかくまあ、好きな話は好きなので、記録につけておく。

 

あくまでメモなので一番重要な部分以外の概略は参考ページ数を書かない。

 

 

面白いと思ったことより前に、前提になる矢内原事件の概要について

矢内原忠雄という人物がいる。いたらしい。この本で初めて知った。正直言って、この矢内原というのはいわゆる日本史(=政治史・経済史)ではあまり重要な人物ではない。実際、この本自身が矢内原事件を極めて小さな事件であることを認めている。

だが、矢内原事件は小さな事件でありながら、現代の視点から見てみると極めて重要な意味を持っている。

矢内原事件とは、1937年、当時の東京帝国大学(現在の東大)の教授であった矢内原忠雄が、「迷惑をかけた」と言って教授職を辞した筆禍事件だ。

これだけ聞くと「なんだ、十五年戦争期にありがちな思想弾圧じゃないか」と思ってしまいそうだが、この事件には特徴がある。それは、彼を追い込んだのが必ずしも国家権力ではないという点だ。何しろ彼は辞めさせられたのではなく、外ならぬ自分が騒ぎを起こしたことを認め、「迷惑をかけた」と言って自分で辞めたのであるから。森戸事件や滝川事件や天皇機関説事件とはこの点で事情を全く異にする。

(2014年発刊の本なので、本書内ではそうは書かれていないが)そのような経緯で辞めたというのは、現代で言うところの「炎上」だとか「キャンセルカルチャー」だとかと通じるところがある(という触れ込みで紹介されていて面白そうだと思って買った)。もし2023年と同じことが1937年に起きていたとしたら、それは面白いことだろう(本当にそうなのかどうかはまだ読み途中なので分からないが)。

大抵の場合、言論の弾圧は国家権力ではなくまず民衆の間から勝手に始まる。太平洋戦争中に「敵国語を使ってはいけない」とか言い出したのが政府でなく民間なのは有名な話だ。この本が目をつけているのは、民間人から民間人への自主的な弾圧にある。

とはいえ、矢内原を追い込んだのが主に世論や大学内の内紛だからといって、国家権力に目をつけられていなかったわけではない。何しろ矢内原は共産主義者・平和主義者だった。

権力側から彼を追い込んだ人物の一人に、蓑田胸吉(みのだ むねき)がいた。

 

 

面白いと思ったこと:蓑田胸吉、「現代的」な弾圧者

私が珍しく読書メモなんかつけてるのは、この蓑田胸吉という人物がかなり「面白い」からだ。正直言ってこの本は人となりの紹介が多すぎて今のとこあんま面白くないのだが、この人物についてはようやく面白いと思った。

蓑田胸吉という名前も些末なものなので知らなくて良いと思うが、それでも彼の経歴を見ると近現代史をやったことのある人間は誰でも真っ青になるだろう。最も代表的であるのは、彼の批判が出発点となって当時の文部省及び文部大臣鳩山一郎が動き、滝川幸辰が休職処分となったこと──要するに彼は滝川事件を引き起こした張本人である。クソやべえ。その後も天皇機関説を始め、数え切れないほどの方面に弾圧を繰り返している。

「彼の学生時代は自由主義マルクス主義が流行していた時代にあたるが、蓑田はこうした流行に背を向け、国家主義的な思想運動に足を踏み込んだ」(p. 85) とある通り、若い頃から熱狂的な愛国主義者であったようである。

彼の性格がどのくらいヤバいかというと、蓑田の書いた文章について、「彼の論文には、学術的論考に見られるような冷静沈着さが欠如しており」「文体は激情が迸り」「傍点が極端に多い」「執筆者が絶叫しているような印象を与える」(p. 84) と形容されるほどにはヤバかったようである。

そして評価に違わず、彼は敗戦の翌年に自殺することとなる。

 

 

さて、ようやく前提情報の整理も終わったので、滝川事件を引き起こし、天皇機関説をはじめとして様々な言論弾圧に国家権力の側から関わった彼がどんなことを言っていたのか見てみよう。これが面白い!

 

 (強調は私による)

また、矢内原がキリスト教的立場から平和を唱えていることに異を唱えて聖書解釈にも考察の筆を進める。たとえば、「マタイによる福音書」五章三九節「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」や同書二六章五二節 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」を根拠に平和主義を唱えるなら、と蓑田は問う。それではなぜイエスはこういったのか。
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」「マタイによる福音書」 一〇章三四節)。

しかも、マタイは次のようにも報告している(二一章一二-一三節)。「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。 そして言われた。『こう書いてある。 「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。』」。
このように、「反平和」は「反真理」だ、というなら、エスも当時のユダヤ教ローマ帝国に対して秩序と平和の破壊者だったではないか、と蓑田はいうのである。このように「平和が真理である」という矢内原の命題を反証で崩すことを試みつつ、その批判対象となる思想を「幼稚愚劣」であると罵倒している。(p. 90)

 

蓑田によれば、矢内原がイザヤの預言に真理としての平和の理想を見るのは、ユダヤ教ないし「ユダヤ神話」を妄信する結果である。しかも、矢内原は「日本神話」を妄信することを排撃していながら、ユダヤ「神話」を妄信するのは自家撞着であると蓑田は断じる。

さらに、矢内原が旧約聖書を権威としてよりどころとすることから、ユダヤ教キリスト教の相違をまったく無視していると蓑田は推論し、このような混同を「無学」「無節操」であると痛罵している。(p. 91)

 

それにしても、そもそも矢内原がキリスト教信仰を持っていること、それ自体を非難しなかったのはなぜだろうか。蓑田はいう。「真のクリスチャンは断じて日本国体に背反するものではない」からである。

蓑田にとって、日本は「世界文化単位」であった。すなわち、日本精神、日本文化は「儒教も西欧哲学も近代科学もまた [矢内原]氏らが信ずる基督教をも、歴史的事実として選択摂取し来(きた)っている」。つまり、仏教や儒教によって代表される東洋精神文化の伝統と理想の展開を現実に担っているのは、もはやインドでも中国でもなく、日本である。明治維新以後、古代ギリシャの学芸とユダヤに源流を有するキリスト教古代ローマの法学思想、そして近代の科学思想といった「全体としての西洋文化」も、ことごとく日本が選択摂取したと蓑田はいう。したがって、日本文化の内容はそっくりそのまま世界文化であり、日本はすでに確立された 「世界文化単位」にほかならない、と主張するのだ。

そうであればこそ、キリスト教も世界文化単位である日本文化の一部なのである。

これは蓑田がその著書 『世界文化単位としての日本』(一九二九年 〔昭和四〕刊)で展開している立場であるが、この基本的立脚点を矢内原批判でも再確認・再強調している。

しかし、東西両文化の渾然一体化への道程は決して平坦ではない。 「世界史の開展の先駆者として綜合的人類文化創造の第一線に立ち険難の隘路を開拓すべく悪戦苦闘しつつあるものが祖国日本である」と蓑田は断じる。すなわち、「われら日本民族の双肩には、この世界文化史の根本問題と相並んで、全世界中幾億有色人種の現在および将来の政治的運命の人道問題までが掛かっている」とし、いわば日本は「人道の十字架」 を負うものだとキリスト教的レトリックを持ち出している。

キリスト教も含めた全世界の全思想が日本文化に体現されているという視点からすれば、なるほど矢内原がキリスト者であるということ、それ自体は問題視されえないことになる。(pp. 92-94)

 

蓑田による矢内原批判において注目すべき第二の点は、矢内原がクリスチャンであることそれ自体に異を唱えているわけではないことである。蓑田にとって矢内原が非難されるべき理由のひとつは、矢内原が「エセ・クリスチャン」であることであった。(p. 91)

 

表立っては戦争がなくとも、少数の英国人が何億というインド人を搾取するという「事実」を、矢内原なら「平和」だといって賛美するのだろうと揶揄している。(p. 89)

 

 

これは現代の私達から見たら、西洋中心主義やキリスト教中心主義に対しての随分と「穏当な」反論ではないだろうか。日本が世界文化単位だとかいうくだりはちょっと頭イっちゃってる感があるが、それにしたって言論弾圧をした国家権力の中の人が言うにしてはあまりに至極全う過ぎる話じゃないだろうか。それに彼は、キリスト教の成立や聖書の内容を用いて何事かを論駁出来るだけの知識もある。

今やこの2023年07月04日、LGBT保護を欧米から押し付けられているだのなんだので世論が揺れているわけだが、日本にはキリスト教を権威にして黒人差別をした歴史があるわけでもなく、同じくキリスト教を権威にして過去のイギリスみたいに同性愛者を強制収容所にぶち込んで男性ホルモン/女性ホルモンを注射して同性愛を「治療」しようとした過去があるわけでも、それらに対する贖罪でアファーマティブ・アクションめいたことをやる義務があるわけでもない。「日本は日本」という意見が多く見られる中で、上の引用を見てみれば、さあ、改めて彼はどんな人物だろうか。

 

 

しかし、目の前の現実として発生する権力による言論抑圧とは、権力という「悪」が、「善」としての言論人に力で沈黙を強いる事態だといって済ませられるほど、平板かつ明白なものではない。(p. 5)

 

 

言論抑圧というものは権力が民間人を弾圧するだけではなく、民間人が民間人を弾圧する形でも起こる、それが本書の主張の一つのようである。

しかしながら私には、それだけが本書から学べることだとは思われない。

言論弾圧をするような人間は、愛国主義者で話の通じない頭のヤバい連中に決まってる」

そんな思い込みが、私たちの頭の中に透明な形で存在していないだろうか。

 

 

このページの冒頭に書いた通り、私は社会問題の話が嫌いだ。

繰り返すが、今日このメモを書いているのは、十五年戦争期に言論弾圧に関わった権力者の一人が実際には極めて現代人から共感が多そうで穏当な反キリスト教中心主義で動いていたことが「面白い」と感じたからだ。それ以上の話はない。

別にその事実からあなたが何を汲み取ろうと知ったことじゃない。だが一人の日本史好きとして私が思ったのは、「面白い」、ただそれだけだ。本から何を汲み取っても良いが、私からそれ以上のことを汲み取るのはやめてくれ。以上。