月詠の16-18話見た。
16-18話見た辺りで結構辛くなった。
これはあんまり面白く無いのに無理して見てるなぁーと思った。
そしてやってたゲーム全般に飽きててウワワワワワワってなった。
あーやばいやばいどうしようどうしようってなったので本を読むことにした。読んだ。
前にちょっとだけ読んで積んでた。
最近人工知能関連のニュースが多くて凄く胸を痛めている。
というのも私の専攻が畑5枚違いくらいの距離だったので。色々と抉られるものがある。
でもいい加減現実と向き合わないわけにもいかないし、他に読みやすそうな本もなかったので読んだ。
感想とか:
私の専攻がもともと認知科学の3枚畑違いくらいの距離だったのでどうしてもそっちに肩を入れた感想になってしまう。
なんていうかディープラーニングっていうのは突き詰めると「なんで動いてるか分からないけどとりあえず動くもん作れました」っていうのが極点まで行っただけで別に人間の知能についての解明とかでは全く無いのだなと思った(本人たちは脳がマクロなレベルでまでニューラルネットワークで動いてると信じているのかもしれない)。
今まではマシンパワーでぶん回すことすら出来なかったのが、学習するときに入力と出力が同じになるように教師をつけて中間層のノードの数を絞ると入力の抽象的な特徴だけが中間層に残る、そしてそれをどんどん繰り返す(という理解)という画期的なアイデアの発明と、あとランダムにデータにノイズを混ぜたりするみたいなテクニックを大量に重ねあわせることによって、結果的に人類が今持つマシンパワーで良い結果が得られるところまで方法論が洗練された。でもそれだけではある。
「動くもん作れました」っていうのが本当に大事で、「こういう風にすると抽象的な特徴が中間層に残る」っていうのも半分以上は後付の理屈で、人間の脳がそういう風に動いていることを全く保証しない(そして恐らく全く違う)。もし動くものが作れてなかったら多分誰も見向きもしてなかったんだと思う。
人類が将棋で誰一人コンピュータに勝てなくなったとしても、それはあくまで結果的な事なんだと思った。
それに、チェスにしても将棋にしても囲碁にしても、あるいは株の超高速取引とか、Web広告とかにしても、
今コンピュータが強いものは全部、「人間がそもそも得意ではないこと」。
人間がそもそも得意じゃないことに人間とは根本的に違う動き方しかしない装置で人間を超えていて、それはそれで凄いのだけど、
人間が凄く日常的に行っていること(それこそ例えば画像認識とか)ではまだ凄く初歩的なことも実現できていない/解明されていなくて、今のディープラーニングはそれとは全く違う方向の研究なんだと思った。(そして私が大好きなのはいつだって人間の心という機械だった。)
「ディープラーニングでネコの画像の認識度が高まった」みたいなニュースを聞いてたけど、それもエラー率が25%から16%に下がっただけだった。
もしこれでエラー率が最終的に0.00000000001%まで下がったとしても、それはあくまで全然違う方法で出された回答が全く偶然に答えと近いところに出続けるだけで、人間の脳が実際にどういう風に画像を認識しているのかについての進展ではない。
エラー率を下げるための微妙な調整が、最終的には職人芸になって、しかもほんの少ししかエラー率が下がらないのでコストとリターンが全然釣り合わなくなるって話がちょっと面白かった。
人工知能の分野に進化心理学とか認知科学とかの知見は全然生かされていないっぽくて、今の人工知能研究のメインストリームは恐らく人間の知能の解明とかをそもそも目的にしていないのだと思う、ただ世間の報道の仕方が全然そうじゃないので、進化心理学とか認知科学の人達はこれから長い間肩身の狭い思いをするんだろうなーと思うと悲しくなった。