用事があって外に出た。
総武線に乗って某駅まで。とにかく人がいっぱいいた。周りに人がいっぱいいるとそれだけで少し元気になる。「人間がいっぱい動いてる……生きてるんだ……」って凄く安心した。
うつがひどかったんだと思う。
帰り道、「あ、歩けないかもしれない」って久々に思った。人生に楽しい事なんて何も無い、死ぬしか無い、って感じが久々に来てた。
耐え切れずその場で入った喫茶店で落ち着くためになにかのご縁を読んだ。
朝は本にブックカバーをかけることすら出来ず、外で表紙を素にして読めそうなラノベでとりあえず持ってきていたのがそれだった。
なにかのご縁を50ページほど読んだとき、既にうつは驚くくらい軽くなっていた。小説を読んだのは凄く久しぶりだった。
一旦最寄り駅まで電車で移動して、喫茶店に改めて入って読み直し始めた。
読み終わって帰り道を歩く頃には完全に回復していて、人生に対して凄く希望が持てていた。(躁転する度に本当に不思議だと思う。)
この1ヶ月くらい、ずっと小説を読む気分になれなかった。
勉強しようとしたり、一般大衆向けに書かれた心理学や生物学や××学の本を読もうとしたり。
そして自分の砕け散った人生と将来のことを考えてうつに入って一日中自分を責めているのをずっとやっていた。
だから、今日久々に小説を読んだのは物凄い偶然だった。
たまたま外に出たこと(1ヶ月に数回も出ない)、外出先でうつになったこと、喫茶店があったこと、たまたま小説を一冊持ってきていたこと、そして鞄の中の他の本ではなく小説に手を伸ばしたこと。
この奇跡的な偶然に乗じてしばらく小説を読もうと思った。
私の人生には安定した楽しみが無かった。そのことがうつ病を悪化させた/させてる。
そもそも大学院に行こうと思ったのも、「人生に何も楽しいことがないし就職しても帰ってきて××学の本や論文を読んでいるだけになりそう」と思ったからだった。
だけど、今日、小説がそれかもしれない、小説こそが私の人生の安定した生き甲斐なのかもしれない、そう思った。
なんで今まで気付かなかったんだろう。
いつだって小説は私を没入させてくれたのに。心から楽しませてくれたのに。
ここまで追い詰められて初めてそれに気付いた。
小説を読もう。
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ところで私は日常系のアニメをあまり見ない(というかアニメをあまり見ない。毎週追うというのが凄く苦手で、かといって一気に見ようとするとうつ病センサーが発動してウッッッッッってなる)。日常系っていうのはたとえばらきすた、けいおん、スト魔女、ゆるゆり、ガルパン、ごちうさみたいな。だけど今日初めて日常系がわかった気がした。
普通の大学生の普通の大学生活をなにかのご縁で見てたら脳が「アアアアアアアアア……」ってなった。ああ、日常系ってこういうことなんだ、って思った。
冷静に考えたら私は小中高にろくな思い出が無いので小中高が舞台の日常系に何も感じられないのは当たり前だった。そりゃそうじゃ。
大学が舞台のアニメを見たら良いのかもしれない。というかアニメ見れば良いじゃないか。
小説、アニメ。今日は急に一気に人生に楽しみが供給された気がする。生を。この手に生を。