ブログを作っては消すのやめろ

ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20200719 トゥルーマン・ショー

観た。

体調は相変わらず。何か出来ないわけではないが、何もやりたい事はない。本はちょっと厳しい。ゲームをやるやる気すら、という感じ。

朝からSuper Hexagonを2時間くらいやっていた。音楽を聞きながら。spotifyを導入してQoLが特大増加。

 

こんな日に映像媒体というのは良い。コストが安い。精神的コストの事を言ってる。値段なんて言ったら作品は全部安い。安すぎる。映画なんてものがTSUTAYA行けば数百円で見れたり、amazonnetflixで数百円で見れたり、あるいは私が一生かけても買えないようなモニタと音響のある映画館にたったの2000円だかそこらで入場させてもらえる方がおかしいんだよ。これは絵だって小説だって音楽だってなんだってそう。強いて言えば舞台とかはちゃんと値段があるか。最近はインディーゲームもそこそこの値段のものが増えた。本一冊だって全部あれくらい高くなるべきだ。そんな事をしたら私が生涯に見れる作品は何本やらという気持ちにもなるが、何もかもが安いこの世界はトゥルーマン・ショーの世界以上に狂ってるんじゃないか?そう思う。共産主義に転向はしない。

それはさておいて精神的コストとして映画は安い。大体が2時間前後だ。何が良いってアニメより短くて、頭に優しい。アニメは20分が12話あったら4時間になるが、それ以上に「12」というのはコストがキツい。私のような人間にとって、特に鬱病患者にとって、レシートを1枚捨てるのと1000字日記を書くのはあまり辛さが変わらない。どっちも同じ1タスクだからだ。タスクを12回やれと言われるアニメに比べたら1タスクで2時間も没頭させてもらえてこんなにもたくさん体験のできる映画のなんて素晴らしいことか。映画というのは良いものだ。

以下ネタバレ感想雑記。

 

 

相変わらず本筋については触れないところから。

事前情報は話のあらすじと、「最後トゥルーマンは番組から出ていく」というところだけ。だけ?いや、それ全部では。それでも見てよかったと思えた。

 

始まり方がちょっと想像以上にエグい。マジで番組なんだ……ってなった。

トゥルーマンが出てくる。もう見て30秒くらい、凄く気持ち悪い。何が気持ち悪いって、何の俳優的教育も受けずに育ったはずの彼が俳優のような仕草で生活している。明らかに生まれた時から周りに俳優しかいなかったからだ。(普通の)人間が社会的な振る舞いというのを周りの人間を見て学ぶように、トゥルーマンは俳優に囲まれて育った結果あれが普通の人間の仕草だとラーニングして育ったのだ。明示されていないけど多分意図してると思う。「この世界は気持ち悪い、あるべきではない」というメッセージを開始30秒で脳に叩きつけてくるの凄いな。

で、いきなりカメラが空から降ってくる。展開早いよ。もうそこからなのか。この先一体どうなるんだ。次は雨が局所的に降り出す。文字通りの意味で局所的に降って、次に普通の意味で局所的に降る。やべえ。

で、トゥルーマンを見ている観客たちが代わる代わる映る。これアレだな、電車男の実写化(地獄)を思い出す。電車男実写化は私じゃなくて家族が見ていた。あれ以上に気まずい瞬間があっただろうかと思う。閑話休題電車男のレスのあの演出の元ネタこれか。名作の演出をあんなものに使うな。まぁ電車男の主人公を務められた俳優の方の出演機会が後々増えたので良かったと思う。何かの医療系のドラマで出ていて(やっぱり家族が見ていたのを横目に)見かけたことがあるけど良い演技の出来る人が露出するきっかけになったのならあの実写化にも意味はあったんだろう。閑話休題 (2)。

この辺りから記憶の時系列おかしいと思うけどどうでもいい。

トゥルーマンが昔の恋人のことを思い出しているシーン。過去の回想まで挟まる(のをテレビ番組として私は見せられる)のか。クリストフは究極のリアルを求めたがこの作品の監督もこの作品の監督でマジでリアリティ求めすぎじゃないのか。ちょっと家の地下室とかを調べる必要がある。

シルヴィア(本名)が出てくる。最初は善意の人かと思ったけどどうもトゥルーマンガチ恋勢かあるいは#トゥルーマンの解放を求めます系の人っぽいのであまり好きにはなれなかった。

ところで地下室のトゥルーマン、誰にも見られていない(と思っている)トゥルーマン、「社会」の中にいないトゥルーマン、挙動がマジで子供みたいだ。普段のあの俳優みたいな振る舞いは「社会の中では人間というのはこういう風に動くもの」とラーニングした結果であるということか。やっぱりこれは意図してやっているものだと思う。

死んだことになってた父親が乱入。会社の隣のオフィスのエレベーターの向こう側は食べ物までたっぷりある控室。遂にこの世界は何かおかしいんじゃないかと思い出すトゥルーマン。妻の病院のオペ室まで駆け込む。車椅子の老人が大量に突然出てくるシーンは無茶があり過ぎて少し笑ってしまった。関係無いけど私こういうシリアスなドタバタ劇好きなんだ。

色々あってトゥルーマン、遂に街の外へ。妻(ということになっている)人にハンドル握らせるの普通に面白かった。というか水を渡れないとかお前は吸血鬼か。

映画の冒頭でボートでトゥルーマンが立ちくらみをするシーン、画面の何に対してトラウマを持っているのかちょっと分からなくて、「え?今カメラ何映してる?この沈んだボート?なんか画面におかしいとこある?あれ?もしかしてもう集中完全に切れてる?今日は映画もだめ?」ってなって怖かったんだけど、ちゃんと後から説明されるタイプの伏線で安心した。父親と生き別れの溺死をした(ようにしてトラウマを植え付けられた)のが原因か。学習心理学の有名なやべー逸話のふわふわしたものに赤ちゃんが近づく度に大きな音を鳴らして恐怖を植え付けたアレみたいだ。

無二の親友に説得され、父親と再開して遂に元に戻った(フリをする)トゥルーマン。湧く観客。感動するスタジオ。この映画は面白い。ただ、私は小さい頃からテレビをあまり見ないので、本来刺さるべき体験を味わえていないのかもしれないと少し思う。この観客達に自分を投影して刺さったりする人もいるだろうか。

クリストフのインタビューシーン。この後色んなシーンで見れるけど、実はトゥルーマンというスターの一番のファンは彼だったりするのが凄く面白いと思った。こじれ系情報量の多い映画だけどこじれ系情報量は多いほど良い。(こじれ系情報量って何?。)

で、色々あってトゥルーマンはカメラの目を欺いて失踪。キャスト総出で捜索するけど集団行動(競技名)かよヤバいわ面白すぎる。一体これでトゥルーマンを見つけたところでどんなカバーストーリーで説得する気なんだ。色々と何もかもそれどころじゃないのが好き。

トゥルーマン、世界の端に辿り着くことに成功。話しかけるクリストフ。その声色も表情も、実の父親か、あるいはガチ恋勢に近いファンのそれだ。「トゥルーマン・ショー」というディストピア自体はオーウェルやハクスリーを読んでいれば思いつくのかもしれないが、監督たるクリストフのこのおぞましさはちょっとそういうところからは出てこないので凄いと思う。

ここでもう一つ私にも刺さらないんだろうなと思ってしまったのは、外に出ないほうがトゥルーマンの人生は幸せだろうにと思ってしまったことだ。私は不幸だったから。

あともう一つ、これは普通に考え込んでしまったのだけれど、果たしてトゥルーマンのいる世界は「偽物」なんだろうか?ということ。あの歳になるまであの世界が偽物だって気付けないほどリアルならそれはもう本物の世界と何も変わりがないんじゃないか?って。実際自分の生まれた街から出ないで死ぬ人間なんてこの世に山程いる。あの世界が本当の本当に「偽物」なのか、私にはこれを書いている今でも結論が出ていない。

これで主人公に外に出たいと思わせるにはディストピアのお約束だけでは弱いし陰鬱な雰囲気はこの映画に合わないので冒険家になりたい生まれということになったのだろうけど、そうでない人間にとってはむしろ一生を保証されたような中で現実そっくりの世界で暮らせるなんて良いことじゃないかと思うんだ。

何より、何が素晴らしいって現実のゴミみたいな問題に煩わされることが(多分)ない!監督は究極のリアルをとか言っているがキャストだって監督だってやべーやつはいないから!やべーやつにしたって「演技されたやべーやつ」の枠を出れないから!現実のマジのマジでやべーやつに遭遇しないで一生を終えられるから!ちょっとそう思ってしまう。

具体的に言うと栄誉交換でマグナIIのアニマが1個あたり50とかわけの分からない事は彼のやるソシャゲでは起こらないだろう。視聴率が下がるし電話回線もパンクするぞ!ごめん冗談。

さて映画が終わって、以下脚そ考。

 

トゥルーマン・ショー」という映画が終わるまでに、トゥルーマンは本当に「ドラマの外」に出ることに成功できたのだろうか?と少し思ってしまう。彼は皮肉めいて役者のような挨拶をしてから外に出ていったが、本当にそれは皮肉たりえただろうか?

あの挨拶は、私が感想の最初で言った「社会の中で人はどう振る舞うべきか」というのを何も知らないトゥルーマンが周りの俳優をラーニングしてしまって身につけたものだ。本当にただ皮肉を言いたいだけなら「ご視聴ありがとうございました」でよいのだ。でも彼はそれを知らない。あの箱庭の中で身につけた作法しか知らない。そして彼はカメラで観られていることを、「社会的な状況」に置かれていることを分かっている。だから「俺はこれが番組だということを知っているぞ」という皮肉を言ったつもりで彼の頭は実はまだ番組の中にいる。

テレビの中にテレビもあるのだから、「ご視聴ありがとうございました」くらいは言えて良いはずだ。

でもクリストフはトゥルーマンの最後を見て陰惨な表情をしていたしこれはやっぱり脚そ考なんだろうって思った。

 

そんな感じでした。映画というのは良いものです。