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ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20210216 うつ病九段 (※書籍名)

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うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文春文庫) | 先崎 学 | 趣味・実用 | Kindleストア | Amazon

 

普通に生きているので普通の日記も書く。

 

読んだ。無茶苦茶ゆっくりとだけど読んだ。読み終わった。来た、見た、勝った。

 

実のところこの本が手元に来てから2年が経過している。2019年の誕生日プレゼントにフォロワーに贈っていただいたものと記憶している。誠申し訳ない気持ちで一杯である。

 

今日はあまり感想とか書ける状態ではないので、とりあえず読んだことを記録しながら、私にとって著者の先崎学九段がどういう人物であったかを書きたいと思う。実のところ先崎先生は私の人生において大きな役割を果たした人物である。私がそう思っているだけである。勝手に。

 

 

以下、先崎九段のことを慣例に従って先崎先生と呼ぶ。どんな素人でもプロ棋士は先生と呼ぶものだ。これは社会上の風習ではなく尊称としての意義がある。正直言って、私なんて、プロ棋士どころか将棋道場にたくさんいる奨励会員ですらない小学生ですら先生と呼びたいくらいだ。将棋というのは本当に凄い世界なのである。

 

さておき、実は私が将棋を始めたのには先崎先生の影響が大いにあったりする。

将棋を指さない人でも恐らくかなりの割合知っている、とある一局が関係している。

苦しい表情の羽生先生が「勝利」と表示される例の4コマ、その元ネタの対局である。

直接リンクを貼りはしないが、「天才の詰み」で検索すれば4コマが出てくる例の対局である。2013年NHK杯準決勝、郷田 ─ 羽生戦の一幕、この局の解説が、他でもない先崎八段(当時)だったのである。

 

この時まだ将棋を知らなかった私は、恥ずかしながら、例の4コマを見て普通に笑ってしまったのだが、後にこのエントリと出会うことになる。*1

「なにか本当に凄いことが起こっていたらしい」と知った私は、該当の対局を見てみることにした。当時の私は駒の動き方しか分からず、原始棒銀という戦法名すら知らないような人間であった。それでも先崎先生と聞き手の矢内先生が驚嘆しながら話しあう声と、将棋というゲームに生涯を懸ける人物達の間でだけ生まれる盤上のドロドロとした空気がモニターを越えて私に流れ込み、それは将棋について何も知らない人間の魂を鷲掴むのに充分であった。

 

この一局から数年経ってタイムラインで将棋が流行って私もやってみる事になるのだが、始めるのを後押ししたものの一つに、この「天才の詰み」での先崎先生と矢内先生の解説があった事は疑いようもないことである。

「銀からですか……銀から……」「桂の方(を残した方)が良いっていう発想が普通有り得ない」「こういうのは対局後にこういう手がありましたねっていうのが普通なんです」

当時は話されている意味すら分からなかった。今ならかろうじて分かる。駒台に金と角銀桂桂があって相手の玉が詰むかもしれないとなったら、誰だって銀や角を打つのは後だと考える。桂より先に角や銀を1枚くらいは捨てる必要があるにしても、先に銀角を両方捨ててしまって桂2枚しか残らないような筋は絶対に考えない。初心者ですらそうだし、この点についてはプロは尚更そうだ。

だからこそ先崎先生はこれを「天才の詰み」と呼び、対局相手の郷田棋王(当時)ですら詰みが発生している事に気付かず、詰みをかけられても7手程の間全く分からず、羽生三冠(当時)が最後の銀を捨てていよいよ桂2枚しか残らなくなって「一体なんだこれは……」という顔をし、数秒後、詰みに気付いた刹那、郷田先生の身体が跳ねるように大きくのけぞったのである。手がパタパタと進んで郷田棋王の玉が詰まされていく中、そのがっくりとうなだれた顔は完全に生気を失っていった。まるで僅か5分やそこらの間に20の齢を重ねたかのような具合であった。「こんな馬鹿みたいな事が現実にあってたまるものか……」と言わんばかりだった。

 

郷田先生は当時棋王のタイトルを保持していたが、そもそも将棋のタイトルというものは、挑戦権すら一生に何度得られるか、生涯を懸けてたった一期でも獲得できるか、というくらいに厳しいものである。そんなタイトルホルダーであった郷田先生が完全に意気消沈するような、化物のようなやり取りが発生したのが本局だったのである。

 

そのやり取りを見たのが私の将棋の原体験であり、この後将棋を始めるにはまだ数年の時が必要だったとしても、記憶の隅にずっとそれがあったのは紛れもない事実である。

そして、この盤上の熱を私に届けてくれたのは間違いなく解説の先崎先生と聞き手の矢内先生である。

この二人が該当局の解説をしていなかったら、私は将棋を始めようと思っていなかったかもしれない。思っても、実行しなかったかもしれない。

 

悲しいことに私はうつ病の身で、練習という練習が出来ない。将棋ウォーズですら2級止まりである。将棋道場に行けば、10級か、審査が甘くて9級つくかというくらいだろう。

それでも将棋という営みは、私の人生に本当にとても大きなものを与えてくれた。

 

 

そんな先崎先生がうつ病に罹った。

 

 

「プロ棋士うつ病だなんて、それも、よりによって先崎先生が」と私は呆然とするほかなかった。

うつ病という病気が、頭を使う仕事に、棋士という人生に、どれほどの影響を与えるのか身を以て知っていたからである。

 

幸いなことに先崎先生は回復なされた。だが本書を読む限り、それはかなり奇跡のような事に近い。

早期発見されたというのが最大の要因には見えるが、他にも先崎先生の兄が医師であったり、きちんとした治療体制が確保出来たり、協力的な家族がいたり、本人の「将棋界に戻るんだ」という強い意志があったり、何より本人がプロ棋士というこの世で最も魂の強い存在の一つであったり、到底私たち一般のうつ病患者の参考になるようなものではない。

しかしながら先崎先生の筆力は凄まじく、この病気がいかに恐ろしいものかが、将棋と無縁の人間にさえ残酷なまでに分かりやすいよう克明に描かれている。

 

うつ病にも将棋にも興味が無くても、とりあえず読んでみて欲しい一冊だった。

 

改めて先崎先生と矢内先生に、私に定期的に将棋の指導をしてくれる人に、そしてこの本を贈ってくれたフォロワーに感謝を。

*1:余談だが、恐らく同一人物が将棋エントリを定期的に増田に投げている。