ブログを作っては消すのやめろ

ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20201123 AoE2DE / 銀河鉄道の夜

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私です。画像はよくあることです。なんかいつの間にかよく分からんところにいっぱい農民が立ってたりします。

よくあってはいけない。

 

AoE2DE

相も変わらず23弓の城主入りまでを特に練習している。

昨日に比べて大分よくなった。

パフォーマンスがよくなったのもそうだけど、何よりかなり息をするように出来る部分が増えた。

繰り返しと継続が大事なので本当に続けていきたい。

鍛冶場を忘れがち。今日は最後にTC建てられたのでちゃんと城主出来ててよい。

包囲施設用の農民もキッチリ前に出していったり出来た。

特に暗黒内政が目に見えて良くなった。

領主から先はまだ本当に全然ダメ。

 

最後にAIの難易度を少し上げてみたら、大量の散兵を出されて死んだ。

偵察は大事だ。

相手の軍に応じて騎兵を出したり出来るようにならないといけない。

それに本来、23弓オーダーがきちんとこなせていればAIの難易度が最高でも為すすべもなく死ぬ。私がきちんとオーダーを出来ていない。まだまだ本当に練習する必要がある。

 

銀河鉄道の夜

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

読んだ。

これについては読む読む詐欺を始めてからまあ本当に随分と経ったものだ。

私が最初に読もうと思ったのは、ラーメンズの『TEXT』「銀河鉄道の夜のような夜」を見たときだった。

次に読もうと思ったのは輪るピングドラムの時だ。これについては2011年の放送らしいから、もう9年だと言うのか。そりゃあ、例のウェルカムトゥロクロゥナーイwwwwwwwwwwwのコピペを探そうとしたってなかなか出てきやあしないわけだ。

 

あれからどれほど時間が経ったろうか。しかし読まないで死ぬよりはよほどいい。

 

感想は、私に何か文学的な事が言えるとかはよほど見えないので、思ったことだけを書いておく。

 

 

宮沢賢治は、これは知ってる人も多くあるとは思うが、まったく土に足を踏みしめる人だ。農の道に生きる人だ。そんな人がどうしてこんな作品を書くことがあったかしら、と私は少しばかし不思議だ。他にもとてもたくさんの話なんかを遺しているが、宮沢の仕事とはじつにかけ離れたものだからはてなとしてならないのだ。

多才な人は多才、そういうものだろうか。

 

ところでこの銀河鉄道の夜なんかは児童文学だとか童話だとか言う人が多いかとは思うのだが、いったいどうやってこんな風になっただろうかと私にはよく分からない。

注文の多い料理店なんかはまだ少しきっかいな話なんかで済むのかもしれないが、この銀河鉄道の夜なんてのはこんな悲しい話をおさなごに読ませるものかね、と思う。

私には有害図書指定だとか児童文学とはかくあるべきだとかそのようなところはまったくないものだから、だれそれの好きにすればいいと思うが、それでもまったく不思議なものだと思う。

ヘッセの「少年の日の思い出」なんてのも小学校の国語で教科書に平然と載せられているが、あんなバッドエンド至上主義者しか好むことのないようなものをいったい教科書に載せるんだろう。

 

そら文学なんてのはある種業というか哀しみというかそんなものを背負ってないといけないだろうから、かんばんに文学とあってしまってはこのようになるのはいっとう当然なのだけれども、どうやったって腹に落ちないのだ。

なにか人に哀しみをおぼえさせたいものたちでも教育の偉いところの中にはあるのだろうかね。

 

 

いやなんかほら、いきなり普通のテンションに戻りますけどこういう古い文章読むとそれっぽくツイートしたり日記書いたりしたくなるじゃないですか。なりません?

それとも単に私が古い物に惹かれるというどうしようもない人間だからだろうか。こればっかりは、児童文学がバドエン主義者の陰謀の結実としか思えないことなんかよりもずっと、昔から不思議でならない。

まぁそういうサガってやつなのだろう。