私は死ぬまで子供のように。
久々に脳の調子が悪く無かった。
色々ゲームを起動してみたけど、どれもしっくり来なかった。
映画とかアニメとか見たいという気分でもなかった。
Super Hexagonをやった。
https://www.twitch.tv/videos/459437358
2週間したら自動で消えるアーカイブ。
同じ音楽を延々とループさせて、ひたすら避けて、死んで、リセットして、避けて、死んで、リセットして、それだけ。
半年以上ぶりにやったSuper Hexagonは、たった5分で私の心に安寧をもたらした。
ああ、そうだ、これが私の求めていたものだ、心からそう思った。
久々に集中出来そうだなと思ったので、流石に絶対に誰も見ないと分かっていても配信することにして、OBS Studioを起動した。
これが私にとって、数少ない自己実現の方法の一つだからだ。
私がSuper Hexagonをやるとき、あるいはDuetをやるとき、楽しいとか、楽しくないとか、そういう感情を抱いてはいない。
単純に、心が落ち着く。
海の底でたゆたっているように、ただ、ひたすら、平穏でいられる。
でもそれだけなら配信ボタンを押す必要はなかった。
だけど私は配信ボタンを押した。
結局のところそれが、私というゴミみたいな哀しい生き物の全てなのだと思う。
わけのわからない事に心血を注ぐ。そんな自分に自尊心を持っている。
その没頭対象は意味不明であれば意味不明であるほど良い。
Getting over itは、私の好きなゲームではあったけれど、クリアするまでやる気には結局ならなかった。
流行りすぎているからだ。
逆張りとかそういう問題じゃなくて意味不明じゃないものはそもそもの問題としてやる気にならないのだ。
本当にくだらない人間過ぎて笑ってしまう。
でも一部のASDはそのようにしか生きられないと私は思っているし、何も無いよりは遥かに良いと思う。何より、そもそもの問題としてASDはこのようなものをプレイすると無条件で心が落ち着く。とても哀しい話だ。
もちろんASDにだって立派な自己実現の方法は他にもいくらだってある。というか、自己実現だなんてくだらないことを考えなくても生きていけるのがASDにだけ与えられた特権だと思っている。私は美しいものが好きだし、美しいものが見られるならそれだけでよかった。そのためならなんだっていくらでも出来た。他人の目なんて気にしなかったし、自分が何者であるかも気にしないで、ただただ没頭するのが楽しかった。そして私はあまりに美しいものを求めすぎて、極めて個人的な話になるけれど、自分の専門分野の腐敗に耐えきれなくなって、それを失った。
あれから未だ、私が精神的に永久没頭してbot化出来るものは見つかっていない。
あるいは手を伸ばせば何かに届くかも知れなくても、まだ当分はうつ病によってこの手はどこにも届けない。
従ってそれが何であるかは分からないものの、暫くは気の触れた事に心血を注ぐことにだけ注力していようと思う。
私はそもそも普通の人間のように生きることが無理だ。