ブログを作っては消すのやめろ

ゲームの記録とか、稀に読んだものとか用です。

20170826 このゲームは貴様の心臓を止める、Close Me

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どうもー!このゲームが怖すぎてtwitterで土曜の早朝より無茶苦茶に発狂しておりました!私でーす!今日は洋風ホラーと和風ホラーの違いについて語りたいと思うのですが、先に申し上げておきますと、このゲームは間違いなく過去最悪に怖いですので絶対にプレイしないことをオススメ申し上げます。最悪です。最悪も最悪としか言いようがないですね。

 

 このゲームは外国の方が作成されたものですが、間違いなく中身は完璧な和風ホラーであります。洋風ホラーではありません。そして和風ホラーこそ、私が大好きな、「恐怖」という名前を冠するに相応しいものであります。

 これはいつどこで見た話なのか忘れたのでその程度の与太話として聞いてほしいのですが、日本人が作る怪談やホラーの類というのは、欧米では本当に怖いのだそうです。そのおかげで貞子やらリングやらなんやらは大ヒットしたわけですね。

 

 では和風ホラーと洋風ホラーは具体的にどのように違うのかと申し上げますと、とりあえず洋風ホラーとしてヨーロッパじゃないですけどアメリカで最近大ヒットしている「ウォーキング・デッド」の話でも具体例に引きましょうか。あるいはシャイニングでも十三日の金曜日でも何でも良いですが。アメリカのホラーだろうとヨーロッパのホラーだろうとなんだろうと、どうせアジア圏でのホラー感の本質性を前にしてはどうせ大した違いは無いものです。

 「ウォーキング・デッド」は大流行していますが、ああいうのが洋風ホラーなのです。極めて具体性がある化け物がいる。それがどこから襲ってくるかわからない。ひょっとしたら今すぐにでも壁を突き破ってくるのかも……?ああ恐ろしい!!!キャー!!!ズバーン!!!ドカーン!!!ああああああ人が死んだーーーー!!!どこまで演出で盛ろうが怖い雰囲気を出そうが、「具象物」とか「実体」の領域から抜け出せない怪物しか出てこないのが洋風ホラーってわけです。

 じゃあ幽霊ってどうなの、って思うかもしれませんが、あれにしたって欧米の奴らが作る幽霊はぶっちゃけ肉体を持たないゾンビと変わらないわけですよ。どうせゾンビだって壁突き破ってくるし天井から落ちてくるんだから。問題なのはそこじゃない。所詮「意志のある何か」を怖く演出する程度までが洋風ホラーの限界ということです。

 

 では和風ホラーとは何か?何が違うのか?確かに化物はいるかもしれません。怖い怪物だっているかもしれません。でも和風ホラーの主体はそこではない。和風ホラーにおいて、観客を最も怖がらせるものとは生き物や幽霊ではなく「場」なのです。あなたが今その異常な空間に立っている、その事こそが本質的な恐怖なのです。ゾンビがいるから?幽霊がいるから?違います。貴方は生命を脅かされる必要すらない。ただ単にその「場」にいること自体が「不気味」で「怖い」、それを演出するのが和風ホラーというものなのです。あるいは呪いです。

 雰囲気による怖さ。世界による怖さ。あなたがこれに耐性をつける事は決して無い。洋風ホラーがすぐに耐性をつけられてしまうのとは裏腹に。

 

 私はホラーゲームを嫌というほどやってきましたし、見てもきました。そしてすぐに、どんなホラーゲームをやっても全く怖がらない体になってしまいました。何故か?簡単です。いわゆるホラーゲームというジャンルは基本的に洋風ホラー、どこまでも物理的な怖さしか演出しないからです。基本的にはね。

 どうせ突然化物が出てくる。どうせ突然爆音が鳴り響く。どうせ突然全画面で怖い画像が見える。どうせ血しぶきが舞う。どうせ死体の山が降る。ホラーゲームで起こることなんて、どこまで凝っていてもそれだけ。おまけにその内「お約束」が完成して、「ここを調べたら怖いものとか音とか鳴りそうだな」とか簡単に分かってしまう。私の大好きなMad Fatherですらね。

 

 和風ホラーはそうではない。和風ホラーがフォーカスする恐怖は具象性を伴わない。強いていうならばそれは「場」であり「世界」であり、得体の知れない何かである。そうですね、アメリカで生まれた唯一のそれが、クトゥルフ神話の世界観とか、一部のSCPなのかな。

 和風ホラーにおいて、貴方が脱出したいのは何故か?怖いと感じるのは何故か?それは化物がいるからでも爆音が鳴るからでもグロ画像が見えるからでもない。ただ単に、得体の知れない正体不明の何か。それは果たして生き物なのか?意志を持った存在なの?場そのものなのか?それすら分からない。それとも呪いであるのかも分からない。この森やら館やらを脱出したところでそれはついてくるのかもしれない。それを判別することすらできない。だからあなたは怖い。相手の正体が分からない。恐怖の本質の一つは未知である。

 

 このゲームが非常に素晴らしいのは、昨日紹介したClose Your Eyesと同作者ですが、その恐怖の本質をひたすらに抉り出しているからです。

 この作者のゲームには徹頭徹尾、全画面攻撃も爆音も何もありません。そうですね、全画面攻撃もどきはあるかもしれませんが、不意打ちは何もありません。何一つ無い。それどころか、ウィンドウ一杯に怖い何かが突然に表示されることなんて、Close Your Eyesを5時間プレイしても10回ありませんでしたし、Close Meなら、多分1回ではないでしょうか?それもただの、4桁の血塗られた番号が表示されるだけです。

 それにもかかわらずClose Meは過去やったどんなゲームよりも一番怖いです。それは、Close Your Eyesより遥かに怖い。

 

 私は……怖くて怖くて仕方なかった。何故なら……ゲームが終わらないからだ。怖くて起動出来ないからだ。次に起動したら何が起こるか分からないからだ。そして、だからこそ怖い。恐怖の本質は未知だからだ……。クリアさえすればもう怖くはない。しかしクリア出来なければこの心臓の動機と手の震えは永遠に収まらないだろう。最終的に私は、実質的なギブアップをした。twitterで私のあまりの取り乱しようにリプライをくださった方に、通話をさせていただいた。大変なご迷惑をおかけしました。本当に、本当にありがとうございます。

 その時わかったのですが、私の声は、震えていました。本当に、震えていました。心臓の鼓動と腕が震えるだけではなく、喋ることが、叶いませんでした。ゲーム画面は閉じています。もう15分は経っていたはずです。でも、それでも、声が震えて、止まりませんでした。ホラーゲームフリークの、この私が……。そう、私がつけた耐性など所詮、相手は洋風ホラー。こんなガチガチの和風ホラーを……それもこんな……純然たる恐怖を……。

 いや……これはもはやホラーでも、あるいはゲームですらないのかもしれない。それは強いて言えば、「恐怖」そのものだ……。

 

 軽い気持ちでプレイしない方がいい。何らかの恐怖症や、あるいは一生残るトラウマを植え付けられる可能性がある。もしプレイしたいのであれば、昨日のClose Your Eyesというゲームからスタートして欲しい。同作者だ。それを最後までプレイしきれたならばあなたはこのゲームをやっても最後までプレイさえできれば大丈夫かもしれないが……あのゲームを途中で投げるハメになったのなら、このゲームはあなたにはプレイ出来ないだろう。もしこのゲームがクリア出来なかったなら、最後まで辿り着けなかったのなら、「未知」という本質の一つを殺しきれなかったのなら……あなたの頭のなかに、この得体の知れないゲームですらない何かが永久に残り、精神と身体を脅かし続ける事になる……そう、さっきの私のように。

 

 ……ところで貴様、何故この文を読めている?この文は本来読めないはずだが……飛ばし読みをしたのか?私の文章に読む価値等無い、だからどうでも良い事について延々と語ってページを引き伸ばしていたのだが……私の努力が足りなかっただろうか?何を言っているのか分からないなら、最初からもう少し注意深く読めば良い……。駄文で済まないが……。

 

 それとも携帯か何かで開いているのか?何しろ環境の事は私にはよく分からないからね……いずれにしても、だ、もし貴方が洋風ホラーにおける恐怖について知りたいのなら、適当なPCからブラウザで、十分なサイズのあるモニターでこの日記にもう一度来ればいい。そして最初から飛ばし読みをしないで読めば良い。私が言いたいのはそれだけだ。